私は社会人経験を経て看護師になりました。
新人看護師のころ、身寄りもなく、食事はできなくなっており、認知症もある90代の女性が入院してきました。
その方は、尊厳死協会の会員であり、「私は尊厳死を希望します」という文言を残していました。
積極的な治療はしないにしても、食事はどうする?病院で栄養を取らせずに餓死させるわけにいかない。
でも、口からは食べられない。
胃ろうを作るのはこの方の意思に反しているし、太い静脈に中心静脈というものを挿入しての高カロリー栄養は、認知症もある為管理が難しそうなので無理であろう……というのが病棟スタッフや医師と話し合った結論になりました。
でも栄養はどうする?となった時、鼻から胃に達するチューブを挿入し、栄養剤を入れる経管栄養を行うこととなりました。
当然、鼻に違和感があるし、喉に痛みも出るため、普通に会話ができる方でも苦痛ですし、認知症があれば当然その不快感から抜いてしまいます。
一度抜いてしまうと再挿入の度に医師の確認やレントゲン撮影が必要となるため、抜かないよう両手にミトンと呼ばれる拘束具を装着されました。
その方はまさか自分が拘束されることになるとは思ってもなかったでしょう。
他にも、寝たきりで身寄りはない方で、普段は施設で過ごしておられますが、発熱や尿管結石など、何かあると入退院を繰り返している方がいました。
その方は自分の意思を発することはできないですが、胃ろうがあるため、そこから栄養を注入し、オムツ交換、体位変換をし、痰が溜まれば痰吸引をし…と医療者のされるがままになっており、この方は今こうやって生きていて本当に幸せなのかな? と感じることがよくありました。
今現在も、このような状況で入院していたり、施設にいらっしゃる方は多いと思います。
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その後は緩和ケア病棟で働いていました。
そこはガンがある患者さんしか入れないため、ガン末期の方の看取りの場所でした。
緩和ケア病棟なので、緩和ケアを中心としたケアを行い、苦痛やしんどさを取るようにはしていましたが、やはり栄養と点滴に関しては難しいものがありました。
ガン末期になると食欲も無くなり、口から水分や栄養が取りにくくなりますが、そのままにしていると脱水になりしんどさも増すため、点滴をします。
でも、体が点滴の水分すら受け入れられなくなり、むくみとなって結果苦しい状態になっている患者さんもたくさんいました。
そんな患者さんを見ていく中で、事前に医療に対しての意思表示をしておく大切さを痛感しました。
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私自身、父が2020年12月に脳梗塞を起こし、右半身マヒとなりました。
話すことも食事や飲み込みもできなくなったため、鼻からチューブを挿入し、必要な薬や栄養を入れてもらっていました。
自分で何もできないため、寝たきりで、生活の全てに介助が必要です。
父は以前から「胃ろうは嫌」と言っていたため、最初は私も胃ろうを作らない方向で病院と話し合いをしていました。
ただ、やはり鼻にチューブをずっと入れられて、動く方の左手にミトンをされている姿を見ると、これがこの先ずっと続くのか・・・と思うとかわいそうになり、私の意志で胃ろうを造設してもらいました。
鼻にチューブを入れていると、毎日や入浴日のテープ交換での皮膚トラブル、チューブがずっと同じ位置に当たっている事で潰瘍ができたりします。それはかわいそうだと思ってしまったのです。
2024年3月9日、父は亡くなりました。
3年4カ月ほど、病院や施設にお世話になりながら命を繋ぐ日々でした。
それが父にとって幸せな時間だったのかどうかは聞いても答えがないためわかりませんが、私は父との時間が伸びたことは喜ばしい事でした。
父も、私のためか家族のためか、頑張って生きてくれていました。
コロナ禍であったこともあり、別の施設で暮らす認知症の母とはあまり会わせてあげられませんでしたが…。
父が元気な時に『リビングウィル』を残していたら、父との別れはもっと早かったかもしれません。
正解はもう父に聞くことができないためわかりませんが、私が働いている病棟に入院したりもしたため、看護師として働いている姿を間近で見せることができたり、父のケアに関われたのはよかったのではないかと思いますが、苦しい処置もしていたため、やはり正解はわかりません。
父に対しては申し訳ない気持ちと、頑張ってくれた感謝と、正解がわからないもどかしさの混ざった気持ちを抱えており、それは永遠に解消されないとは思いますが、日々頑張ってくれたことに感謝しています。
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このような経験から、最期をどう過ごしたいか、どんな医療を受けたいかということを具体的に書いた、医療に関するリビングウィルを残す大切さを実感するようになりました。
緩和ケアで数えきれないほどの看取りを行ってきたため、人がどういう最期をたどるのかというのはたくさん見せてもらいました。
全ては患者さんと父から教えてもらいました。
この経験を活かし、一人でも多くの方がご自身が望む通りの最期を迎えられるお手伝いができたらと思っています。
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シビアな話ですが、父のように寝たきりの人を生かすための医療で、国が負担する医療費は月に百万円を超えます(本人負担額は別です)。
そして、医療スタッフ、介護スタッフも必要となり、病院や施設も常にいっぱいというのはよくあることです。
本人や家族が望んでいるのならば、その人の人生だから、お金も人員もかければいいと思います。
でも、望んでいない場合は…?
それもこの先考えていかなければいけない課題なのかな…と感じています。
必要な人、望んでいる人に必要な、望む医療を提供する…ということができるのが理想だなと思っています。
うさぎの夢 代表
松谷 めぐみ